ところで、現在開催中の「東京郷土資料陳列館ものがたり−東京の地域博物館 事始め−」展でも「文化財保護法」の前身、「史蹟名勝天然紀念物保護法」についてご紹介しているコーナーがあります。
1934年(昭和9)、東京郷土資料陳列館(以下、「陳列館」)は東京市公園課の職員によって有栖川宮記念公園のオープンと同時に公開されました。東京市内の「史蹟名勝天然紀念物保護法」の指定を受けた史蹟等は公園課が管理していたこともあり、陳列館でもこの関係の資料がいろいろ展示されていました。
当時もっともお客様の目についたのは、巨大な横長の掛図「大東京 史蹟名勝天然紀念物図示」だったことでしょう。1936年(昭和11)、地人社調査部編集の地図で、国指定(本指定)が二重丸、東京府指定(仮指定)が一重丸、指定外(標識)は丸なしの赤字で、史蹟は「史」、名勝は「名」、天然紀念物は「天」の文字を該当する地点に載せているユニークな地図です。
通年で展示していたためか、同じ掛図がもう1点ありますが、どちらも日に焼けて紙が劣化してしまい、文字が判読しづらい状態になっていますが、当時は、東京市内の「史蹟名勝天然紀念物」指定史蹟等がどこにあるか、この地図をみれば一目でわかったことでしょう。
今回の展示では、これと同じ地図の状態の良いものが江戸東京博物館に所蔵されていたので、そちらを合わせて展示しました。これからご紹介するいくつかの史跡や名勝もこの地図に掲載されています。
まずは「小金井の桜」。
江戸時代、玉川上水沿いに植えられた桜の並木は近代まで桜の名所として知られ、1924年(大正13)12月、国指定の名勝となりました。大正初期からは東京市が桜並木を管理・修復しており、この写真にも枝支えなど、保護の様子が見られます。写真のうらには「陳列館」のゴム印が捺されており、当時展示していた写真と思われます(後期は写真パネル)。
「小金井の桜」は先ほどの地図にもこのように載っています。
続いて、江東区の洲崎神社境内と平久橋西詰に残る、「波除碑」をご紹介します。「陳列館」では、拓本を軸装して展示していました。
江戸時代、深川一帯を津波が襲ったことを警告する石碑は、「史蹟名勝天然紀念物保護法」が制定される前から、史蹟として指定する石碑の代表例として、施行前の講演会などでも紹介されました。
これは講演会の時に配布された絵葉書です。
また、1922年(大正11)に発行された東京市内の史蹟名勝天然紀念物を紹介した『東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖』にも掲載されていました。
先ほどの地図にも二か所、載っています。
ところが、1923年(大正12)の関東大震災、1945年(昭和20)の東京大空襲で被災しました。軸装の拓本は、原形のスケールを偲ぶ資料として貴重なものになりました。
なお、この石碑は現在も東京都指定有形文化財(歴史資料)として登録されています。
最後にご紹介するのは、東京都北区赤羽西の静勝寺内に建つ太田道灌堂に安置されている「木造太田道灌坐像」の複製です。この複製は、江戸東京博物館が製作したものです。
原資料は1989年(平成元)、北区指定有形文化財(歴史資料)となりましたが、戦前からよく知られていました。
1916年(大正5)に結成された郷土史研究グループ「武蔵野会」は1918年(大正7)7月に行った史跡めぐり「豊島の里〜第3回研究旅行」で静勝寺を訪れ、この道灌像に出会ったことを驚きとともに機関誌『武蔵野』第一巻第二号(1918年10月発行)に報告しています。この号の巻頭グラビアに、厨子に入った道灌像が掲載されています。
その後、静勝寺と道灌像は指定外ですが標識の史蹟として認定されました。先ほどの地図にも無印の「史」が2つ載っています。
戦前、静勝寺が発行した寺の案内絵葉書にも道灌像が史蹟として紹介されています。
こちらも文化財ウィークにあわせてご覧くださいね。
なお、11月28日(土)のミュージアムトークでは、これらの資料を中心に、「史蹟名勝天然紀念物保護法」や指定された史蹟、名勝などについて担当学芸員がお話しします。午後2時30分からです。
こちらもお楽しみに!