こんにちは、えどまるです。
今月2回目の3連休で、たてもの園もにぎわっています。
ちょっと遅くなりましたが、9月2日(月)、高橋是清邸内の展示替えをしました。今回は少し時代をさかのぼって、明治20年代後半から明治の終わりまでの時期の是清の活躍ぶりを紹介しています。
最初のコーナーには、是清の波乱万丈の人生を記す年譜のパネルを展示しています。パネルに掲載した前身の木製彫像は、日本銀行総裁となり、横浜正金銀行を離れる際、頭取を筆頭に海外支社を含むほぼ全員が「横浜正金銀行有志」として贈ったもので、高村高雲の弟子、米原雲海の作です。
ペルー銀山の開発が失敗に終わり、職も財産も失った是清が再出発するきっかけが、日本銀行本店本館の建設事務主任の仕事でした。卓越した経理感覚と柔軟な判断力で本館の建築工事の迅速化をはかり、その功績がみとめられて、日本銀行の社員に採用され、その後は横浜正金銀行と日本銀行の要職を歴任しました。
今回の展示では、新設された日本銀行西部支店の店長として馬関(現在の下関)に赴任していた頃の日記や、横浜正金銀行副頭取時代、アジアや欧米の支店視察を行った際、最後に訪問したアメリカでナイアガラ観光した時の写真などを展示したいます。
また、日本銀行副総裁時代は、日露戦争の戦費調達のため、欧米へ外債募集
の長旅に出ることになりますが、当時の戦況や財政状況を示すパネルも展示しています。
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」第三部でも、西田敏行扮する高橋是清が外債募集のため足を棒にしてロンドンの街を歩き回っていましたね。
是清邸ご見学のついでに、銀行家としての高橋是清の活躍ぶりをぜひご覧ください。12月26日(木)までですが、版画資料など一部展示替えいたします。