江戸東京たてもの園では建造物の保全のため、1月12日(火)から13日(水)にかけて復元建造物の防虫処理を行います。
対象となる大和屋本店(乾物屋)、万徳旅館、川野商店(和傘問屋)、仕立屋、田園調布の家(大川邸)、小出邸の6か所は1月14日(木)からの公開となります。
西ゾーン 小出邸
西ゾーン 田園調布の家(大川邸)
東ゾーン 仕立屋
東ゾーン 川野商店(和傘問屋)
東ゾーン 万徳旅館
東ゾーン 大和屋本店(乾物屋)
ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。
江戸東京たてもの園公式ブログ
江戸東京たてもの園では建造物の保全のため、1月12日(火)から13日(水)にかけて復元建造物の防虫処理を行います。
対象となる大和屋本店(乾物屋)、万徳旅館、川野商店(和傘問屋)、仕立屋、田園調布の家(大川邸)、小出邸の6か所は1月14日(木)からの公開となります。
西ゾーン 小出邸
西ゾーン 田園調布の家(大川邸)
東ゾーン 仕立屋
東ゾーン 川野商店(和傘問屋)
東ゾーン 万徳旅館
東ゾーン 大和屋本店(乾物屋)
ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。
こんにちは、えどまるです。
三連休に行った「紅葉とたてもののライトアップ」はたくさんのお友達で賑わいました。昨日は小雨が降ってたけど、濡れた葉っぱや道に光が反射して、幻想的な風景になったよ。
イベント二日目の22日(日)、デ・ラランデ邸内のカフェ武蔵野茶房ではテラスでコンサートを行いました。クラシックの響きが秋の風景にぴったりだね。
今年の目玉、指定文化財のライトアップシリーズ、まずは今年、東京都有形文化財(建造物)に指定された「前川國男邸」。
続いて小金井市有形文化財(建造物)に指定された「奄美の高倉」と民家「吉野家」。まずは夕景。「高倉」の向こうに「吉野家」の屋根が見えます。
そして夜景。「吉野家」は、式台付玄関のむくり破風(はふ)と「鶏に雲」の懸魚(げぎょ・装飾板)がライトアップされました。
奄美地方の穀物貯蔵庫である「高倉」も闇から浮かび上がるような幻想的な演出がされてますね。
同じく小金井市有形文化財(建造物)に指定された民家「天明家」。正面からの眺めはこんな感じ。こちらは正面の大きな千鳥破風が特徴ですね。
室内ではボランティア・スタッフによる囲炉裏体験開催中。炉端でお客様とお話ししてますね。
門から入っていくと入口の手前にみごとな枝ぶりの松の鉢植えがありますが、ライトアップで天明家の障子に松葉のシルエットが現れました。
続いては東ゾーンの看板建築、植村邸と大和屋本店。
植村邸の後ろ姿はこんな感じ。窓からの光が面白いですね。
同じく東ゾーンの小寺醤油店と子宝湯。
子宝湯の隣の仕立屋には都内で唯一の室内ガス灯がイベント期間限定で灯りました。ほのかなやわらかな明かりです。
昨日の雨に光がにじむ西ゾーン山の手通り
バックの樹木を照らすことによって建物が浮かび上がる田園調布の家(大川邸)。
そして、最終日の昨日、担当学芸員らによりデ・ラランデ邸の応接間の暖炉に火が入りました。
暖炉の火も不思議な魅力がありますね。
最終日の午後にはビジターセンターでトークイベント「たてものとあかり」が行われ、80名以上のお客様がご参加くださいました。
最終日、ライトアップが始まると、「けんちく体操」でおなじみ、白衣姿のDr.イサーム・ヨネ氏が来園され、お客様からの質問に答えてくださいました。外国人のお客様は看板建築について尋ねておられました。お子様方にも「はかせー」と呼び掛けられましたが、質問は建築のことではなく、大和屋の鰹節についてでした…。
ご参加くださった皆様、有難うございました。
こんにちは、えどまるです。
昨日から、「紅葉とたてもののライトアップ」が始まったよ。
デ・ラランデ邸のテラス。
今年小金井市有形文化財(建造物)に指定されたのを記念して、初めてライトアップされた「奄美の高倉」。幻想的な雰囲気です。
コチラは定番!東ゾーン川野商店の和傘もライトアップ!
昨年からこの期間限定で点灯している、仕立屋室内のガス灯。室内にガス灯があるのは都内でここだけなんだって。
万徳旅館では「あかりの歴史体験」。専門家によるレクチャーも聞けるよ。
民家の囲炉裏も良い雰囲気ですね。
東の広場のキャンドルナイト、今年はお花の形もあってきれいだね。
今日もお待ちしてます。暖かくして来てくださいね。
みなさん、こんにちは! えどまるです。
今月、江戸東京たてもの園では、園内の建物の補修工事をあちこちでやっています。
今週は、吉野家(農家)の土間をきれいに修復するために、
左官屋さんに来ていただいています。
10日(火)には、職場体験のために、たてもの園に来ていた
中学生のみなさんにも、
土間の三和土(たたき)の作り方を体験してもらいました。
まずは、三和土のもととなる、土(叩き土と呼ばれます)と石灰と水、苦汁(にがり)を一定の配合で混ぜます。
それを叩いて仕上げていくのですが、
まずは、職人さんがお手本を見せてくれました。
タコと呼ばれる、突き固める道具を使います。
端の部分は、コテを使って仕上げます。
さて、やってみましょう。
順番に体験します。
だんだん、固くなってきたら、
表面は、コテを使って仕上げます。
土全体が乾燥したら、完成です。
三和土はこのようにしてできるのですね。
吉野家(農家)の三和土は、現在、乾燥中です
三和土の工程について、いろいろ教えてくださった左官屋さん、
体験にご協力くださった、工務店さん、どうもありがとうございました。
ところで、現在開催中の「東京郷土資料陳列館ものがたり−東京の地域博物館 事始め−」展でも「文化財保護法」の前身、「史蹟名勝天然紀念物保護法」についてご紹介しているコーナーがあります。
1934年(昭和9)、東京郷土資料陳列館(以下、「陳列館」)は東京市公園課の職員によって有栖川宮記念公園のオープンと同時に公開されました。東京市内の「史蹟名勝天然紀念物保護法」の指定を受けた史蹟等は公園課が管理していたこともあり、陳列館でもこの関係の資料がいろいろ展示されていました。
当時もっともお客様の目についたのは、巨大な横長の掛図「大東京 史蹟名勝天然紀念物図示」だったことでしょう。1936年(昭和11)、地人社調査部編集の地図で、国指定(本指定)が二重丸、東京府指定(仮指定)が一重丸、指定外(標識)は丸なしの赤字で、史蹟は「史」、名勝は「名」、天然紀念物は「天」の文字を該当する地点に載せているユニークな地図です。
通年で展示していたためか、同じ掛図がもう1点ありますが、どちらも日に焼けて紙が劣化してしまい、文字が判読しづらい状態になっていますが、当時は、東京市内の「史蹟名勝天然紀念物」指定史蹟等がどこにあるか、この地図をみれば一目でわかったことでしょう。
今回の展示では、これと同じ地図の状態の良いものが江戸東京博物館に所蔵されていたので、そちらを合わせて展示しました。これからご紹介するいくつかの史跡や名勝もこの地図に掲載されています。
まずは「小金井の桜」。
江戸時代、玉川上水沿いに植えられた桜の並木は近代まで桜の名所として知られ、1924年(大正13)12月、国指定の名勝となりました。大正初期からは東京市が桜並木を管理・修復しており、この写真にも枝支えなど、保護の様子が見られます。写真のうらには「陳列館」のゴム印が捺されており、当時展示していた写真と思われます(後期は写真パネル)。
「小金井の桜」は先ほどの地図にもこのように載っています。
続いて、江東区の洲崎神社境内と平久橋西詰に残る、「波除碑」をご紹介します。「陳列館」では、拓本を軸装して展示していました。
江戸時代、深川一帯を津波が襲ったことを警告する石碑は、「史蹟名勝天然紀念物保護法」が制定される前から、史蹟として指定する石碑の代表例として、施行前の講演会などでも紹介されました。
これは講演会の時に配布された絵葉書です。
また、1922年(大正11)に発行された東京市内の史蹟名勝天然紀念物を紹介した『東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖』にも掲載されていました。
先ほどの地図にも二か所、載っています。
ところが、1923年(大正12)の関東大震災、1945年(昭和20)の東京大空襲で被災しました。軸装の拓本は、原形のスケールを偲ぶ資料として貴重なものになりました。
なお、この石碑は現在も東京都指定有形文化財(歴史資料)として登録されています。
最後にご紹介するのは、東京都北区赤羽西の静勝寺内に建つ太田道灌堂に安置されている「木造太田道灌坐像」の複製です。この複製は、江戸東京博物館が製作したものです。
原資料は1989年(平成元)、北区指定有形文化財(歴史資料)となりましたが、戦前からよく知られていました。
1916年(大正5)に結成された郷土史研究グループ「武蔵野会」は1918年(大正7)7月に行った史跡めぐり「豊島の里〜第3回研究旅行」で静勝寺を訪れ、この道灌像に出会ったことを驚きとともに機関誌『武蔵野』第一巻第二号(1918年10月発行)に報告しています。この号の巻頭グラビアに、厨子に入った道灌像が掲載されています。
その後、静勝寺と道灌像は指定外ですが標識の史蹟として認定されました。先ほどの地図にも無印の「史」が2つ載っています。
戦前、静勝寺が発行した寺の案内絵葉書にも道灌像が史蹟として紹介されています。
こちらも文化財ウィークにあわせてご覧くださいね。
なお、11月28日(土)のミュージアムトークでは、これらの資料を中心に、「史蹟名勝天然紀念物保護法」や指定された史蹟、名勝などについて担当学芸員がお話しします。午後2時30分からです。
こちらもお楽しみに!
こんにちは、えどまるです。
今年も、11月3日(火・祝)の文化の日を中心に、本日、10月31日(土)から11月8日(日)まで、「東京文化財ウィーク」が行われます。より多くの皆様に文化財を身近に感じていただく一週間です。
たてもの園には、東京都指定有形文化財の建造物が2棟あります。
「自証院霊屋」と、今年指定を受けた「前川國男邸」です。
こちらが自証院霊屋です。雨天を除く毎週日曜日、内部を公開していますが、この期間は雨天と休園日(11月9日)を除く毎日公開します!ぜひ、この機会に見に来てね。
こちらが前川國男邸です。
その他、今年、「吉野家」、「天明家」、「奄美の高倉」の3棟が小金井市の有形文化財に指定されました。
こちらが「吉野家」。
こちらが「天明家」。昨年、茅葺き工事を行いましたが、だいぶ屋根の色がなじんできました。
こちらは奄美から移築された、穀物をしまっておく高倉です。
これらのたてものもお見逃しなく!
こんにちは、えどまるです。
夏休みも残りわずかとなりましたね。
現在の交番制度が始まったのは1874年(明治7)8月25日で、これを記念して来週8月25日(火)、小金井警察署の主催による交番イベントをたてもの園で開催します。
日時:8月25日(火)14時から16時
内容:「万世橋交番」で明治時代の制服を着たお廻りさんが「交番の日」をPRします。その他、警察の車(パトカー)乗車体験、「交番の日」DVD上映など盛りだくさん!ピーポくんも来るよ!
なお、雨天の場合は中止となります。
こんにちは、えどまるです。
毎日暑いですね。
園内では朝からセミが元気よく鳴いています。
さて、展示室では7月28日(火)から新しい展示が始まりました。
「東京郷土資料陳列館ものがたり−東京の地域博物館 事始め−」
展という長いタイトルの展覧会です。会期は来年2月21日(日)までです。
江戸東京たてもの園の前身、武蔵野郷土館、その前身の武蔵野博物館が資料を引き継いだ「東京郷土資料陳列館」(以下、「陳列館」)はこれまでその存在があまり知られていませんでしたが、1934年(昭和9)11月、東京市が有栖川宮記念公園に設置した地域博物館です。
展示室を入ると、正面に当時の展示室の内部がご覧いただけます。
現在の都立中央図書館の敷地の西側あたりに戦時中まで建っていたようです。現在は縁石が残るのみで更地になっています。
当時の展示構成は、「東京の輪郭」「自然界の状態」「文化の発達」「市政とその施設」「産業」の大項目によって区分されたエリアの壁面や展示ケース、時には天井も使って、展示が行われました。
「東京の輪郭」では、明治期から建設が構想され、ようやく竣工間近となっていた国会議事堂などとともに東京市章が紹介されています。
東京府のなかに東京市が設置された1889年(明治22)、元府知事の渡邊洪基がデザインした市章が制定されました。実はこのマーク、1943年(昭和18)、東京都制が実施された時に引き継ぎ、現在も正式な都章として使われているのです。
当時、東京市のお祝いイベントには欠かせなかった花電車(路面電車の車体を装飾して運行)や奉祝旗にも市のマークが登場します。ちょっと珍しいものとしては日本橋に設置されている獅子の彫刻が楯の代わりに市のマークを掲げています。
「自然界の状態」では、当時の東京市の気候や地形、動物や植物の生態について展示していました。この時展示されていた貝化石を、今回の展示にあたり、専門家に分析していただきました。
縄文時代の古い地層が露出していて貝化石がたくさん発見される地点で収集された化石もあったようです。
「文化の発達」では先史古代から関東大震災まで、考古資料や歴史資料により、文化の発達を展示していました。
発掘調査や踏査で収集した石器や土器なども展示していますが、おもしろいのは当時の複製資料です。土偶、貝輪、人物埴輪、円筒埴輪、各種須恵器など複製資料が多数制作されました。精巧なものから素朴なものまでさまざまで興味深いです。
「市政とその施設」では、東京市の政策を局ごとにわかりやすく解説していました。
今回は、東京市の政策の節目となった、「帝都復興事業(関東大震災復興事業)」の図説を軸として展示しています。
急速な都市化にともなって人口の急増、農地の減少、化学肥料の台頭などにより、屎尿(しにょう)の収集と処理が自治体に義務付けられるようになったのがちょうどこの頃でした。
展示では東京市時代の汲取人夫の鑑札や屎尿収集チケット(半樽券)とともに、それに使われた道具の実物(肥桶と柄杓)を展示しています。道具類は戦後のものですが、形態はほとんど変わっていません。
ちなみに、当時収集した屎尿は、東京市が提携した近隣地域の農地へ供給される他、三浦・三崎地域への海洋投棄もすでに行われていました。
「産業」のコーナーでは、当時から本格的に始動した公設市場について紹介するほか、基幹産業として海苔の養殖・加工について紹介していました。
今回は、築地市場の様子を日英併載の解説とともにまとめた写真集(1935年刊)などのほか、武蔵野郷土館時代に寄贈された海苔養殖に用いる振り棒と海苔下駄を展示しています。
「陳列館」では東京の郷土玩具も複製して展示していたようですが、その資料は引き継がれていません。そこで、今回は戦前から熱心な玩具コレクターだった小澤一蛙氏が武蔵野郷土館に寄贈した資料からよく知られる玩具類を選んで展示しています。明治から大正にかけて十巻構成で刊行され、郷土玩具の基本文献とされている「うなゐの友」もあわせてご紹介しています。
郷土玩具はギャラリーで展示しており、半期(10月25日まで)の会期となっています。後半は「紅葉とたてもののライトアップ」(11月21日から23日)にちなんで江戸・明治・大正の明かりの道具を展示します。
展示ではこのほか、「文化財保護法」の前身、「史蹟名勝天然紀念物保存法」に関連する資料があります。当時の展示では「市政とその施設」コーナーで展示されていました。
展示内容は次回、ご紹介します。
展示室内は涼しいので、たてもの見学の合間にぜひお立ち寄りください。
みなさん、こんにちは。えどまるです。
たてもの園の特別展「モダン都市の文学誌」の会期も、残すところ10日。
まだご覧になっていない方、見逃さないようお急ぎ下さい〜。
今回ブログで紹介するのは「武蔵野」のコーナー。
作家の横光利一は斬新な文体による作品で、新感覚派の旗手として注目を集めた人だけど、昭和12年に著した「春園」には、武蔵野の一角に居を構えた主人公が、
ヒロインの成長を見守りつつ、東洋的精神と西洋文明の狭間で
自らの生き様を問う姿が描かれているらしい・・・!
何だか、現代に生きる僕たちも考えるようなテーマだね。
「春園」の背景は、雑木林や麦畑に囲まれた静かな郊外風景で、
登場人物の気持や行動の変化を際立たせる舞台設定になっているとのこと。
これは横光自身が、杉並町阿佐ヶ谷に移り住んだ時の光景を
参考にしたとも言われているんだって。
武蔵野の雑木林は、度々伐採されて薪にされることから、
細くて低い幹が根から何本も生えて、梢越しに空の見える明るい林だったそう。
こちらは哲学者・山口諭助による武蔵野の風景。
「春園」では、ヨーロッパから帰国した主人公が自宅を建て、
新しい生活を送りつつ思索にふける場所として武蔵野地域が選ばれているけれど、
こうしたことが出来るのが都市のとなりに位置する地域の特徴じゃないかな。
たてもの園があるのも、都市のとなりの小金井市。
自然の中に移築・復元された歴史的建造物の見学を兼ねて、ぜひご来園くださいね。
みなさんのお越しをお待ちしています!
みなさん、こんにちは!えどまるです。
今日は七夕、願い事は済みましたか?
たてもの園の特別展「モダン都市の文学誌」も、
たくさんのお客様の来場を心待ちにしているところです。
浅草、銀座と、文学に描かれた町の様子を紹介してきたこのブログも、
3回目を迎えました。今回の特集は新宿。
関東大震災後、東京の郊外には住宅地が拡大します。
そんな中、中央線や山手線が走り、私鉄の始発駅を抱えた新宿は、ターミナル駅としての
役割を担い、西郊への玄関口にふさわしい賑わいを見せるようになったんだって。
この様子を「新宿スケッチ」(昭和4年)で活き活きと写したのが新興芸術派の作家・
龍膽寺雄(りゅうたんじ・ゆう)。こちらは自宅でのスナップ(個人蔵)。
「新宿スケッチ」の冒頭は、大正14年に鉄筋コンクリート造の二階建てとなった
新宿駅の描写で始まります。
駅の額(ひたい)の大時計、近世ゴシツクのあのコンクリートへ嵌(は)められた時計の文字盤(ダイアル)に、甲虫の様に黒く針が匍(は)つて、それが一と廻りするうちに、二回、――朝と晩とに、規則正しく新宿は、駅にも広場にも街路にも、群集の洪水を溢(あふ)らせる。(「新宿スケッチ」より)
龍膽寺は、モダニズム文学の旗手として一躍文壇の寵児となったけれど、
作家としての第一線での活動期間は短く、のち、シャボテンの研究・栽培で
国際的に知られる存在となったユニークな経歴を持っているんだって!
こちらが新宿のコーナ−。
百貨店、映画館、ダンスホールなど、大衆が好んで訪れる様々な施設が建ち並び始めたのが、昭和初期のこの時代。
龍膽寺が文芸部顧問を務めたレビュー劇場ムーラン・ルージュに関わる資料も展示中。
こちらは谷中安規画「街の本 ムーラン・ルージュ」(昭和8年 小野忠重版画館所蔵)
ぜひご来園いただき、今につながる町の活況を、眺めてみてね!
次回は「武蔵野」のコーナーの特集です。